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ロマネ・コンティの名前の由来~ポンパドゥール夫人とコンティ公爵

2024/02/10
 
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おそらく世界で一番有名でかつ高価であるワイン、ロマネ・コンティの名前の由来についてです。
→最近はルロワのワインがすさまじい高騰でランキング上位を席巻しておりますが・・・。気になる方は調べてみて下さい。




ロマネ・コンティの名前の由来~ポンパドゥール夫人とコンティ公爵

 

1700年代半ば、ルイ15世の愛妾・ポンパドール夫人とコンティ公爵が畑の取得をめぐって争いました。

銀行家の娘という平民の出ながら、美貌と才能でフランス国王の愛妾となったポンパドゥール夫人。その後、その持てる能力を如何なく発揮し、政治に関心の薄いルイ15世に代わって権勢を振るうようになりました。ベッドの上でフランスを牛耳ったと言われ、「私の時代が来た」という言葉を残しています。

一方のコンティ公爵(ルイ・フランソワ1世)は優秀な将軍で、ルイ15世の絶大なる信頼得ており、ポーランド王にと名前が挙がるほどの人物でした。

そして、この二人の諍いが始まるのですが…。

ある日、ポンパドゥール夫人は、外国からやって来る大使に対して彼女本人と謁見することを義務付けました。王妃ではなく、妾(めかけ)であるにもかかわらず。さらに、謁見の場から椅子を全て取り払ったといいます。”私と会う時は立っていなさい”ということです。

普段から彼女の傍若無人ぶりを快く思っていなかったコンティ公爵は、彼女のところに招かれた時、部屋の中央にある彼女のベッドに腰掛けて「素敵な椅子をお持ちだ」と言ったそうな。

この日を境に二人は完全に決裂してしまいました。

この後、コンティ公爵はポーランド王に推挙され、ルイ15世も最初は彼を後押ししたと言われますが、力を持ったポンパドゥール夫人が四方八方手を尽くし、この話を潰してしまいます。

ちょうどこの頃、当時としても最高の畑として名声を博していた「サン・ヴィヴァン修道院」所有の区画ロマネ(現ロマネ・コンティ)が売りに出されます。(ちなみに、リシュブールやラ・ターシュは「シトー修道院」の所有)

ワインを愛寵していたポンパドール夫人は、自分の力を誇示する為にもこの最高といわれていたブドウ畑を手に入れようとしました。しかし、コンティ公爵が黙ってはいませんでした。この話を聞きつけたコンティ公爵はすぐさま大金を用意し、このぶどう畑を購入してしまいます。そして、購入した瞬間に、畑の名前をロマネ・コンティとしたのです。

ロマネ・コンティが誕生した瞬間です。

 

ポンパドール夫人の失望感は並々ならぬもので、以降、ベルサイユ宮殿から全てのブルゴーニュワインを閉め出したと伝えられているほどです。

そして、ちょうどその時、ボルドーに左遷されていたリシュリュー男爵が事の顛末を知り、彼自身も起死回生を狙いラフィットをポンパドゥール夫人に勧めました。
そして、ルイ15世がラフィットを大絶賛、王室御用達のワインとしてヴェルサイユ宮殿の晩餐会で振る舞われるようになりました。この件で、リシュリュー男爵は汚名挽回し、ポンパドゥール夫人もより評価を高めたそうな。

さて、主役のロマネ・コンティはというと、コンティ公爵が自分の宮殿に来た王族・貴族、芸術家たちにのみ振舞ったものですから、そして、それが素晴らしいワインだったようですから、噂が噂を呼び、希少性も相まってロマネ・コンティの名声がさらに広がっていったということです。

ここからロマネ・コンティの伝説が始まりました。

ただ、この時代のロマネ・コンティはおそらく今私たちが知っているロマネ・コンティの香り・味わいとは全く別物であったはずです。

 

何かございましたらこちらまで
info@majime2.com 牧野 重希






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